正直、最初は見る気なかった…映画『国宝』が私を「傑作」と唸らせた理由

はじめに:タイトルで損してる!?私の初期の偏見と覆された期待

皆さんは、映画を選ぶ際、何を決め手にしていますか?監督、出演者、ジャンル、それとも何より「タイトル」でしょうか。私にとって、今回ご紹介する映画『国宝』は、まさにそのタイトルが大きな壁となっていました。

正直に告白しますと、このタイトルを見た瞬間、「ああ、いかにも真面目そうで、ちょっとお堅い歴史ものか、あるいは歌舞伎の専門知識がないと楽しめない、敷居の高い作品なのかな」と勝手に想像し、正直なところ、最初は観る気があまり起きませんでした。

「国宝」という言葉の持つ重厚感と、ある種の「ベタさ」が、当時の私の気分とは合わず、つい後回しにしてしまっていたのです。しかし、そんな私の初期の偏見は、見事に、そして良い意味で裏切られることになりました。ひとたびスクリーンに映し出されたその世界は、私の想像をはるかに超える、とてつもない「傑作」だったのです。久しぶりに日本アカデミー賞クラスの日本映画を見たという感じです。

なぜ、私はこの映画にこれほどまでに心を掴まれ、「唸る」ほどに感動したのか?本記事では、私の当初の偏見がいかにして覆され、この『国宝』がなぜ観るべき「傑作」であると心から言えるのか、その理由を深く掘り下げていきたいと思います。あのタイトルだけで判断するのは、あまりにも惜しい。そう思わせるほどの、珠玉の物語がそこにはありました。

『国宝』のあらすじ

映画『国宝』は、日本の伝統芸能である歌舞伎の奥深い世界を舞台に、一人の役者がその「国宝」と称されるまでに至る、壮絶な人生を描く人間ドラマです。

主人公は、若くして歌舞伎の才能に恵まれた喜久雄吉沢亮さんが演じます。彼は厳しい伝統の中で自身の芸を磨き、その道を極めようと奮闘します。そして、喜久雄の幼なじみであり、彼の人生に大きな影響を与える俊介を横浜流星さんが演じます。 師弟関係や家族との葛藤、内なる苦悩、そして彼らを取り巻く運命が、波乱に満ちた物語として紡がれていきます。

華やかな舞台の裏側にある地道な稽古の日々、芸に対する飽くなき探求心、そして一人の人間としての成長と葛藤が丹念に描かれ、観客は役者の内面に深く迫ることができます。歌舞伎の知識がなくとも、喜久雄たちの人生を通して描かれる普遍的なテーマ(努力、犠牲、探求、絆など)が胸に響き、誰もがその魂の輝きに心を揺さぶられるでしょう。芸術に全てを捧げた人間の生き様を鮮烈に映し出す、深く美しい物語です。

見る前のイメージを覆す、物語の奥深さと引き込み方

『国宝』というタイトルから、皆さんはどんな物語を想像するでしょうか?おそらく、日本の伝統芸能である歌舞伎の歴史を紐解く、あるいは特定の歌舞伎役者の生涯を淡々と描く、といった、やや堅苦しいドキュメンタリーのようなものを思い浮かべるかもしれません。私自身も、まさしくそうでした。「専門知識がないと楽しめないのでは?」という不安すら抱いていたのです。さらに、宣伝などから「かなり地味な作品」という印象も受けてしまい、その先入観が強かったのも事実です。

しかし、実際に映画が始まると、私の抱いていたイメージは、良い意味で鮮やかに裏切られていきました。

この物語は、単なる歌舞伎の歴史を絡めたような映画ではなく、一人の人間が、その才能と宿命に翻弄されながら、いかにして「国宝」と呼ばれる存在へと昇り詰めていくのか、その壮絶な人生そのものが、息をのむような濃密な人間ドラマとして描かれていたのです。

登場人物たちの葛藤、喜び、悲しみ、そして彼らが抱える業(ごう)が、緻密な脚本と演出によって深く掘り下げられており、観客はあっという間にその世界観へと引き込まれていきます。歌舞伎という舞台芸術を背景にしながらも、描かれているのは普遍的な人間の感情であり、夢を追いかけることの厳しさ、そして芸術に人生を捧げることの美しさ。気がつけば、私はスクリーンの中の彼らの人生に、まるで自分自身が立ち会っているかのように没入していました。当初の「見る気のなさ」はどこへやら、物語の奥深さにただただ圧倒されるばかりだったのです。3時間近くの映画にもかかわらずその長さが障害とはならなかったのです。

「静」のシーンに宿る圧倒的な迫力:役者たちの真骨頂

この映画『国宝』が、私を「傑作」と唸らせた決定的な理由の一つが、その「静のシーン」に宿る圧倒的な迫力です。アクション映画のような派手なシーンや、会話が途切れない情報量の多いシーンなどではなく、むしろ、登場人物たちがただ佇む、あるいは何かをじっと見つめる、といった「静」の瞬間が、この映画には数多く散りばめられています。

普通ならセリフがない映像など見せられると眠くなりそうですがそんなことはなく、まさに見入ってしまう。つまり、撮影と編集がうまいといえます。3時間近くの映画ですが決して睡魔が襲ってこないのがこの映画の魅力と言えます。

その「静」こそが、観る者の想像力を最大限に刺激し、心の奥底にまで響いてくるのです。役者たちは、セリフに頼ることなく、その表情の微細な動き、視線の揺れ、息遣い、そして何気ない「間(ま)」によって、計り知れない感情や複雑な人間関係、そして物語の背景にある「業」を雄弁に語りかけます。彼らの肉体と精神から滲み出るような演技は、まるで舞台役者が一瞬の静寂の中に全ての感情を凝縮させるかのように、私たち観客をその世界に深く引きずり込みます。

この、言ってみれば、静かな迫力は、時に激しいアクションシーンよりも強く心に残ります。観客は、スクリーンに映るわずかな情報から、その人物が抱える苦悩や喜び、そして未来を読み取ろうと、息を潜めて見入ってしまう。これこそが、役者たちの真骨頂であり、彼らがまさに「国宝級」の演技を見せつけている証でしょう。この「静」の演出と、それを完璧に表現しきる役者の力が融合したからこそ、『国宝』は忘れがたい感動と、深い余韻を残す作品となっているのです。

歌舞伎に興味がなくても楽しめる理由:役者の人生が織りなす圧倒的なドラマ

「国宝」と聞いて、多くの方が真っ先に連想するのは、伝統芸能である「歌舞伎」でしょう。実際、この映画には数々の有名な歌舞伎の演目が登場し、華やかな舞台裏や、役者たちの修行の様子が描かれています。しかし、ここで強調したいのは、**「歌舞伎の知識が全くなくても、この映画は存分に楽しめる」**という点です。

なぜなら、この映画の真の主役は、歌舞伎そのものではなく、歌舞伎に人生を捧げた「役者たちの人生」そのものだからです。劇中で披露される歌舞伎の演目は、単なる背景や飾りではありません。それは、主人公やその周囲の人物が歩んできた道のり、彼らが抱える喜びや悲しみ、成功と挫折、そして「業(ごう)」といった人間的なドラマと深く結びついて描かれています。

観客は、舞台上の華やかさだけでなく、その裏側にある厳しい稽古の日々、人間関係の複雑さ、才能と努力の狭間での葛藤、そして舞台に立つことの意味を、役者たちの人生を通して目の当たりにします。あたかも、歌舞伎の演目自体が彼らの人生の縮図であり、感情の表れであるかのように感じられるのです。

つまり、『国宝』は、歌舞伎という素晴らしい芸術を入り口としながらも、普遍的な人間の生き様や、一つの道を極めることの尊さ、そして家族や師弟、仲間との絆の物語を深く描いています。だからこそ、歌舞伎に全く興味がない私のような観客でも、彼らの人生に心から共感し、その波乱万丈なドラマに夢中にならずにはいられないのです。

まとめ:なぜ「傑作」と唸り、心に深く刻まれたのか

改めて、映画『国宝』が私にこれほどまでの衝撃と感動を与え、「傑作」と唸らせ、心に深く刻まれた理由を振り返りたいと思います。

まず、一つは私の「見る前の偏見」を鮮やかに裏切ってくれたことです。タイトルから想像していた「地味さ」や「専門性」とはかけ離れた、普遍的な人間ドラマの奥深さがそこにはありました。先入観がいかに、素晴らしい作品との出会いを妨げるかということを、改めて教えてくれたのです。

次に、「静」のシーンが持つ圧倒的な表現力です。多くを語らずとも、役者たちの息をのむような演技と繊細な演出が、言葉以上の感情や物語を雄弁に伝え、観る者の想像力を掻き立て、深く感情を揺さぶりました。それは、派手な演出では決して得られない、心に直接訴えかけるような真の迫力でした。

そして、歌舞伎という芸術を背景に、役者の「人生」そのものを描いたこと。歌舞伎の知識がなくとも、その道に人生を捧げる人々の苦悩、喜び、そして宿命が、普遍的なテーマとして胸に響きました。芸術の厳しさと美しさ、そして絆の物語として、多くの人が共感できる深さがありました。

『国宝』は、単に日本の伝統芸能を紹介する映画ではありませんでした。人間の持つ才能、業、そして生き様を、最高峰の映像と演技で描き切った、まさに「映画」という表現の力をまざまざと見せつけられた作品です。この体験は、私の映画観を豊かにし、鑑賞後も長く心に残り続けています。もし私と同じように、タイトルで少し躊躇している方がいれば、ぜひその扉を開いてみてください。きっと、あなたの心にも、忘れられない感動と「傑作」の余韻が刻まれるはずです。

ただ一つ難点を言うと後半に喜久雄の晩年が出てきますが髪は白いが顔はほとんど老けてない。人は首のシワをみると年齢がわかってしまうといわれますがその首にシワがほとんどない。つまり老けてるように見えないんです。
日本映画界ではまだまだメーキャップアーティストの技が卓越の域にまで達してないのかもしれません。

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