映画『ペリリュー』覚悟して観てほしい。中村倫也の抑えた演技が光る、丸っこいキャラクターが映し出す凄惨な戦争

*本記事には、物語後半の重要な展開に触れている箇所があります。未鑑賞の方はご注意ください。

可愛い絵柄だからこそ、覚悟が必要な映画です。

『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』は、観る前に抱く印象と、観終わった後に残る感情が大きく食い違う映画とも言えます。丸っこく、どこか素朴で親しみやすいキャラクターたち。そのビジュアルだけを見ると、ここまで重い体験になるとは想像しにくいでしょう。

しかし本作は、その油断を利用するように、静かに、確実に観る側を追い詰めていきます。
観ている最中よりも、観終わってからのほうがつらい。そういう種類の戦争映画だと思います。

どんな人に向いている映画か

この映画は、分かりやすい感動や救いを求める人には向いていません。
戦争を「学ぶ」作品というより、「付き合わされる」作品だからです。

一方で、戦争がどのように人間の時間感覚や価値観を壊していくのかを、感覚として受け止めたい人には、強く残るはずです。覚悟を持って観るなら、簡単には忘れられない体験になるかもしれません。

この丸っこい絵柄の理由とは

本作では、人体の損壊や血の表現が過剰に描かれることはありません。
その代わり、丸っこいキャラクターの表情や沈黙、間が、状況の過酷さを伝えてきます。

リアルに描かないことで、想像力が働く余地が生まれます。その結果、観る側の頭の中で、戦争の実態が完成してしまう。これが、ある意味、本作を非常につらい映画にしてるのかもしれません。

実は原作者自身も次のことを言ってます。

「作品には残酷な描写があるので、苦痛なく(マンガを)読んでもらえるようにと思っています。残酷さや恐怖心をあおる演出でみせたいわけではないんです。視覚的な衝撃はなるべくない方向で、でも起こっている事象への恐怖はしっかりと感じてもらえるようにこころがけています。読むのがしんどいこともあるから、なるべく絵柄で緩和させて、かわいい絵柄で読んでもらおうというのがありました。」

ここからネタバレあり|物語の内容に触れます

ここから先は、ストーリーの具体的な展開に触れます。
未鑑賞の方はご注意ください。

ストーリー前半

物語の舞台は、太平洋戦争末期のペリリュー島。
主人公たちは、日本軍の兵士としてこの島に配属されます。

当初描かれるのは、激しい戦闘ではありません。
暑さ、空腹、終わりの見えない待機。彼らは「守り切れば勝てる」という命令を信じ、戦争というよりも、過酷な環境での生活を送っています。

この時点では、彼ら自身も、ここが「楽園」ではないにせよ、地獄になるとは思っていません。

ストーリー中盤

米軍の上陸によって状況は一変します。
補給は断たれ、撤退は許されず、兵士たちは洞窟に追い込まれていきます。

戦闘よりも強く描かれるのは、消耗です。
仲間が減っていくことに、いちいち驚く余裕すらなくなっていきます。
戦争は、非日常ではなく、ただの「続く日常」になっていきます。

米軍の物資と戦争が終わっていたという事実

物語後半、田丸たちは米軍の物資を奪います。
缶詰や生活用品は、もはや戦利品ではなく、命をつなぐための最低限の資源です。

しかし、この場面の後決定的なことが起こります。
彼らはその後、本土ではすでに戦争が終結しており、それから2年もの時間が過ぎていたという事実を知ります。

自分たちが耐え続けてきた日々は、すでに「終わった戦争」の中の出来事だった。
この瞬間、彼らが信じてきた大義、命令、忍耐は、すべて意味を失います。

ここで描かれるのは、敗北ではありません。
現実から切り離されるという、決定的な喪失です。

田丸と吉敷が選んだ「真実を知るための決断」

物語の終盤、田丸と吉敷は部隊を抜け出します。
それは命令違反であり、当時の日本軍の価値観においては、決して許されない行為でした。

捕虜になること、投降することは、恥であり裏切りであり、
場合によっては死よりも重い罪と見なされていた時代です。
二人はその現実を理解した上で、それでも行動に踏み切ります。

彼らの目的は、生き延びることだけではありません。
本土ではすでに戦争が終わり、二年もの時間が過ぎていたという話が本当なのか、
自分たちの置かれている状況が何なのかを、自分の目で確かめるためでした。

米軍への投降は、救済として描かれません。
それは、信じてきた価値観や命令を疑い、
それでもなお前に進むという、極めて危険な選択です。

しかし、この決断の最中ですら、戦争は彼らを見逃しません。
投降しようとした時に、吉敷は不運にも命を落とします。そこに英雄的な意味は与えられません。

生き延びた田丸と、命を落とした吉敷。
この差は、勇気や正しさの結果ではありません。
真実を知ろうとした行為すら、命を賭けなければならなかったという事実が、ここで突きつけられます。

この場面によって本作は、戦争の最も凄惨な部分が、戦っている最中だけでなく、

真実に近づこうとした人間の命すら、理不尽に奪ってしまう状況そのものにあることです。

このブログでは、令和に公開される映画を中心に、
とくに俳優の存在感によって、観る側の感情が揺さぶられる作品を多く扱っています。
「なぜこの役は、この俳優でなければ成立しなかったのか」
そんなところを考えるのが好きです。

吉敷役を中村倫也が演じるワケは

『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』の物語は、板垣李光人演じる田丸を中心に進みます。
観客は田丸と同じ立場で戦場を見つめ、状況に流されながら日々を生き延びることになる。

その一方で、吉敷という人物は、
田丸とは少し違う距離から戦争を見ているように描かれています。

中村倫也が声優として演じる吉敷は、感情をあらわにすることも、
仲間を引っ張っていくような存在でもありません。
ただ、置かれている状況をそのまま受け入れているようにも見えない。

たとえば、命令に従いながらも、
それが本当に意味のある行動なのかを、
黙ったまま考えているように見える瞬間が何度もあります。
中村倫也が演じる吉敷には、そうした「迷い続けている感じ」が常に残ります。

もし吉敷を、もっと強い意志や正義感を前面に出す俳優が演じていたら、
彼の行動は分かりやすく「正しい選択」に見えてしまったかもしれません。
しかし本作の吉敷は、何が正しいのか分からないまま、それでも動いてしまう人物として描かれているように感じます。

終盤の決断も、誰かを救うための行動というより、
このまま何も知らずに終わることが耐えられなかった、
その結果として選んでしまった道のように感じられました。

主人公である田丸の視線を際立たせるために、
吉敷には、分かりやすさや力強さよりも、「考え続けているように見える存在感」が必要だったかもしれません。
その役に中村倫也が声優として起用された理由は、
そこにあるのではないか——これは、あくまで私個人の感想です。

この映画が描いた戦争の正体

『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』が描く戦争の凄惨さは、殺し合いそのものではありません。
終わっていた戦争を、終わっていないものとして生きさせられること。
そして、そこから降りる自由すら奪われることです。

丸っこいキャラクターが映し出すのは、残酷さを誇張した地獄ではありません。
あまりにも静かで、あまりにも理不尽な「現実」です。

だからこそ、この映画は覚悟して観てほしい。
これは感動するための作品ではなく、この映画を観たあとでは、戦争を単なる過去の出来事や物語として、
安心して語ることができなくなります。

ラストで田丸が終戦で日本に帰国し、親と再会するところで終わるのが本当に救われます。

🎬 映画情報(公開&上映)

📅 公開日・上映形式
  • 『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』は 2025年12月5日(金) 全国公開のアニメ映画です。ベラウツアー
  • 上映時間は 約105〜106分ムビチケストア
  • 一般の映画館で日本語字幕・吹替上映が行われています。MCC-9

🎁 入場者特典(劇場来場者プレゼント)

📍 特製ポストカード(数量限定)

全国の上映劇場で数量限定・なくなり次第終了です。

武田一義描き下ろしイラストのポストカードが入場者特典として現在配布されています。

イラストには、島田・田丸・吉敷・小杉・片倉・泉など兵士たちが一堂に会した絵柄になっているとのことです。

配布開始日:2025年12月26日(金)~

🗓️ 特別イベント来場者特典

✨ 1月10日(土)トークイベント来場者限定

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