【映画レビュー】『オデュッセイア』|なぜノーランは、神話まで映画にしたくなったのか?

ノーランは、いったいどこまで映画を大きくするのか
クリストファー・ノーランという監督は、いったいどこまで大きな映画を作ろうとしているのだろうか。
『インセプション』や『インターステラー』、『ダンケルク』、そして『オッペンハイマー』。これまでにも、独自の発想と圧倒的な映像表現で、映画の可能性を広げてきた。そんなノーランが今回選んだ題材は、なんと古代ギリシャの叙事詩『オデュッセイア』だ。
ホメロスによって語り継がれてきたこの物語は、トロイア戦争を終えた英雄オデュッセウスが、故郷へ帰るまでの長い旅を描いたもの。神々や怪物が登場する壮大な神話であり、現代の映画とはまったく異なる時代に生まれた物語でもある。
そもそも、神話の中で描かれた出来事がどこまで史実に基づいているのか、はっきりとは分かっていない。それでも、何千年もの間、人々に語り継がれてきた物語を、今度はノーランが映画にした。考えてみれば、これだけでも驚くべきことだ。
なぜノーランは、数ある題材の中から『オデュッセイア』を選んだのだろうか。そして、古代の神話を現代の映画として、どのように描いたのか。
今回は、作品のあらすじや見どころに加え、撮影方法や制作の裏側にあるエピソードにも注目しながら、『オデュッセイア』の魅力を掘り下げていきたい。神話という壮大な題材に挑んだノーランは、どんな映画を作り上げたのか。実際に作品を観て感じたことと、驚きの制作秘話を交えながら紹介していこう。
① 『オデュッセイア』はどんな映画なのか?
『オデュッセイア』は、古代ギリシャの詩人ホメロスによる叙事詩を、クリストファー・ノーラン監督が映画化した作品だ。
物語の主人公は、マット・デイモン演じるオデュッセウス。トロイア戦争を終結させたイタケの王である。しかし、戦争に勝利したからといって、彼の旅が終わったわけではなかった。愛する妻ペネロペと息子テレマコスが待つ故郷へ帰ろうとするオデュッセウスだったが、その道のりには想像を絶する困難が待ち受けていた。
荒れ狂う海、巨大な一つ目の怪物キュクロプス、魔女キルケ、そして人間を惑わすセイレーンの歌。さらに、神々の怒りにも翻弄されながら、オデュッセウスは長い帰還の旅を続けていく。
一方、故郷のイタケでは、王が長年戻らないことで国が混乱していた。
妻のペネロペは夫の帰りを信じて待ち続けているが、王位を狙う求婚者たちが王宮に居座り、彼女に結婚を迫っていた。そして、息子のテレマコスも、父の行方を探すために旅に出る。
つまり本作は、単に英雄が怪物と戦う冒険映画ではない。故郷を目指して過酷な旅を続ける夫と、帰りを待ち続ける妻、そして父の不在と向き合う息子。それぞれの立場から描かれる家族の物語でもある。
オデュッセウスを演じるのはマット・デイモン。妻ペネロペ役にはアン・ハサウェイ、息子テレマコス役にはトム・ホランドが出演している。
さらに、ゼンデイヤが女神アテナ、ロバート・パティンソンが求婚者アンティノオス、シャーリーズ・セロンが女神カリュプソを演じるなど、豪華なキャストが顔をそろえた。上映時間は172分。神々や怪物が登場する壮大な冒険だけでなく、故郷を目指して旅を続けるオデュッセウスと、彼の帰りを待つ家族の物語が描かれている。
実際に観てまず感じたのは、やはりノーランという監督のスケールの大きさだ。
これまでも『インターステラー』や『オッペンハイマー』など、映画史に残るような大作を手がけてきたが、今回は何千年も語り継がれてきたギリシャ神話を映画にしてしまった。しかも、その物語がどこまで史実に基づいているのかさえ、はっきりとは分かっていない。そんな壮大で謎の多い題材に挑み、一本の映画として作り上げたこと自体に驚かされる。
「ついに神話まで映画にしてしまうのか」観終わって、そんな感想が自然と浮かんできた。
改めて、ノーランは映画界でも唯一無二の存在だと思う。これほど大きな題材に挑み、独自の映像表現で映画に仕上げてしまう。その発想力と実行力には、ただただ感心させられた。
② なぜノーランは、神話を映画にしようと思ったのか?
実は、ノーランとギリシャ神話の関わりは、今回の『オデュッセイア』が初めてではない。そのきっかけとなったのが、2004年に公開された映画『トロイ』だ。意外なことに、ノーランは当初、この作品の監督に起用されていた。当時、『トロイ』はワーナー・ブラザースで企画が進められており、監督を務める予定だったのはヴォルフガング・ペーターゼンだった。
ところが、ペーターゼンが別の企画である『バットマン vs スーパーマン』に取り組むことになり、ノーランに『トロイ』の監督が任されることになった。しかし、その後『バットマン vs スーパーマン』の企画が進まなくなると、ペーターゼンは再び『トロイ』の監督を希望。結果として、ワーナー・ブラザースは作品をペーターゼンに戻し、ノーランは監督を離れることになった。
最終的に『トロイ』はペーターゼン監督、ブラッド・ピット主演で映画化され、2004年に公開されている。ノーランにとっては、せっかく関わることになった作品を手放すことになったわけだ。
しかし、この経験は決して無駄にはならなかった。
20年以上前から温めていた「トロイの木馬」のイメージ
ノーランが興味を持っていたのは、ギリシャ神話の世界そのものだけではなかった。特に強く惹かれていたのが、トロイア戦争でギリシャ軍が用いた「トロイの木馬」だった。木馬の中に兵士を隠し、敵の城内へ侵入するという有名なエピソードだが、ノーランはこれを映画の中でどう表現すれば、観客にリアリティを感じさせられるのかを考えていたという。
実際、彼は『トロイ』の企画に関わっていた当時、木馬をどのように見せるかについて、さまざまなアイデアを練っていた。そして、そのときに思い描いた映像のイメージは、20年以上経ったあともノーランの頭の中に残り続けていた。
今回の『オデュッセイア』では、そのとき温めていたイメージが実際に映画の中に取り入れられている。つまり、今回の映画は突然思いついた企画ではなく、ノーランが長年温めてきた構想の延長線上にある作品なのだ。
ノーランが感じていた「映画化されていない世界」
では、なぜ今回、改めて『オデュッセイア』を映画にしようと思ったのだろうか。その理由のひとつとして、ノーランは、これまでの映画文化の中にまだ十分に描かれていない領域があると考えていた。彼自身、子どもの頃からレイ・ハリーハウゼンの特撮映画など、神話や怪物が登場する作品に親しんできた。
しかし、そうした神話の世界を、巨額の予算とIMAXを使った大規模なハリウッド映画として、真正面から描いた作品はまだ十分ではないと感じていたという。つまり、ノーランが目指したのは、単に古典的な神話をもう一度映画化することではない。
何千年も前に生まれた物語を、現代の観客が大スクリーンで体験できるような映画にすることが目的だったのではないだろうか。
これまでのノーラン作品にも通じるテーマ
もうひとつ興味深いのは、『オデュッセイア』に描かれているテーマだ。一見すると、神々や怪物が登場する壮大な冒険譚だが、その根底にあるのは、故郷へ帰ろうとする一人の男の物語である。愛する家族のもとへ帰りたいという思い、長い旅の中で直面する困難、そして人間の選択や葛藤。
こうしたテーマは、これまでのノーラン作品にも通じるものがある。
『インターステラー』では、宇宙を舞台にしながら、父と娘の関係を描いた。『インセプション』でも、主人公の行動の根底には家族への思いがあった。
そう考えると、『オデュッセイア』はノーランにとって、まったく新しいジャンルへの挑戦であると同時に、これまで描いてきたテーマを、神話という壮大な舞台で表現する作品でもあったのかもしれない。
20年以上前に一度は手放したギリシャ神話の世界。その後も頭の片隅に残り続けた構想が、ようやく一本の映画として形になった。そう考えると、『オデュッセイア』は単なる新作というだけでなく、ノーランが長年温めてきた夢を実現させた作品ともいえるのではないだろうか。
③ 英雄の孤独と罪
『オデュッセイア』を観終わって、個人的に強く感じたのは、今回の映画の根底には「英雄の孤独と罪」というテーマがあると感じる。
この感覚は、前作『オッペンハイマー』を観たときにも感じたものに近い。『オッペンハイマー』では、原子爆弾の開発を主導した一人の天才科学者が、その歴史的な功績と引き換えに、重い責任や罪の意識を背負っていく姿が描かれていた。
一方、『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスは、トロイア戦争を勝利に導いた英雄でありながら、故郷へ帰るまでの長い旅の中で、さまざまな苦難と向き合うことになる。英雄と呼ばれる人物であっても、すべてを思いどおりにできるわけではない。自らの選択によって何かを失い、誰にも理解されない孤独を抱えることもある。
もちろん、時代も物語の設定もまったく違う。しかし、偉大なことを成し遂げた人物の裏側にある苦悩や、その行動がもたらす結果を描いているという点では、共通するものがあるように感じた。ノーランは、壮大な歴史や神話を題材にしながら、そこに登場する人物を決して単なる英雄として描いていないのかもしれない。
英雄である前に、一人の人間である。
その人間が何を背負い、何を失い、どんな思いを抱えて生きているのか。『オッペンハイマー』に続いて『オデュッセイア』を観たことで、ノーランが描こうとしているものには、こうした共通のテーマがあるのではないかと感じた。
神話の世界を壮大な映像で描きながら、その奥には英雄の孤独と罪がある。私には、そんな映画に思えた。
③ ここがすごい!『オデュッセイア』の製作秘話
これだけの大作になると、撮影の裏側にも驚くようなエピソードがいくつもある。実際に調べてみると、ロケ地への移動だけでも大変な苦労があったり、撮影のために本物の大型船を動かしたりと、ノーラン監督らしい徹底したこだわりが見えてくる。
今回は、その中でも特に興味を引かれた製作秘話をいくつか紹介したい。
45分かけて山を登り、撮影現場へ
まず驚いたのが、シチリア島での撮影エピソードだ。
イタリアのシチリア島にあるカステッロ・ディ・サンタ・カテリーナという古城では、故郷イタケの場面が撮影された。ところが、この城へ向かう道は、撮影スタッフや大量の機材を運ぶには狭すぎた。新たな道路を造る案もあったものの、最終的には実現しなかったという。
そこで撮影チームが取った方法は、なんとスタッフやキャストが自分の足で山を登ることだった。撮影期間中、現場へ向かうために毎朝、山の麓から約45分かけて坂道を登ったという。登る高さは約900フィート(約274メートル)。しかも、撮影に参加する人数は約200〜250人にも及んだ。俳優たちは衣装やサンダル姿で登ることもあり、なかなか過酷な通勤だったようだ。
もちろん、全員が徒歩だったわけではない。機材の運搬や、徒歩での移動が難しいスタッフ・キャストにはヘリコプターも使われた。アン・ハサウェイは、王妃ペネロペの衣装や役柄の印象を考慮して、毎日ヘリコプターで現場に向かったと語っている。
映画の中では英雄たちが過酷な旅を続けるが、撮影現場でもキャストやスタッフは、まるで自分たちが冒険をしているような毎日を送っていたわけだ。
本物の大型船を使い、俳優たちも実際に船を動かした
次に注目したいのが、オデュッセウスたちが乗る船の撮影だ。
ノーラン監督は、船の場面をスタジオのセットだけで撮影するのではなく、実際に海を航行できる船を使うことにこだわった。そこで採用されたのが、ノルウェーで建造された全長約35メートルの大型木造船「ドラケン・ハラルド・ハーファグレ」だ。この船は、古代の船を思わせる本格的なロングシップで、実際に大西洋を横断した経験もあるという。
撮影では地中海だけでなく、スコットランド沖の北海やアイスランド周辺の海域などでも使用された。さらに驚くのは、俳優たちもただ船に乗っているだけではなかったことだ。マット・デイモンをはじめとする出演者たちは、撮影前にボートを漕ぐ訓練を受け、実際にオールを使って船を動かすことを学んだ。
デイモンによれば、俳優たちは漕艇のトレーニングにも参加し、約100トンもの船を動かす必要があったという。しかも、船の乗組員26人も映画のエキストラとして出演している。
本物の船を使い、実際に海の上で撮影する。波や風の影響も受けるため、スタジオでは再現できない臨場感が生まれる。ノーラン監督は、こうした撮影を「ドキュメンタリーのように撮影した」と説明している。
キュクロプスはCGだけに頼らず、実物の仕掛けで表現
『オデュッセイア』に登場する怪物の中でも、特に印象的なのが一つ目の巨人キュクロプスだ。この怪物をどのように映像化するかも、制作チームにとって大きな課題だった。ノーラン監督とプロダクションデザイナーのルース・デ・ヨングは、キュクロプスのデザインを早い段階から検討していたという。
そのイメージの参考のひとつになったのが、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの作品『我が子を食らうサトゥルヌス』だ。

出典:Wikimedia Commons(Public Domain)(参考にした絵画のひとつ)
不気味で異様な存在感を持つ絵画の雰囲気が、怪物のデザインにも影響を与えたようだ。さらに、映像表現ではCGだけに頼らず、パペットやアニマトロニクス、ロボット技術なども組み合わせている。キュクロプスを演じたビル・アーウィンは、映画の撮影に約1か月参加したという。俳優自身の身体表現も生かしながら、実物の仕掛けを使って怪物に命を吹き込んでいったわけだ。
こうした方法は、ノーラン監督が以前から大切にしてきた、できるだけ現実のものを撮影に取り入れる姿勢にも通じている。
6か国を巡り、91日間にわたって撮影
そして、撮影規模そのものも驚くべきものだった。
『オデュッセイア』の撮影は、モロッコ、ギリシャ、イタリア、アイスランド、スコットランド、アメリカの6か国で行われた。撮影日数は91日間。約6か月にわたって各地を移動しながら撮影が進められたという。
これは、オデュッセウスが故郷へ帰るまでの長い旅を描く作品だからこそ、さまざまな土地の風景を実際に映像に取り込もうとした結果でもある。ノーラン監督は、古代の人々にとって未知の土地だった場所を、観客にも同じように不思議で異国的な風景として感じてもらいたかったと語っている。
そのため、地中海周辺だけに撮影場所を限定せず、荒々しい海や雪に覆われた土地など、物語に合うさまざまな自然環境を探し求めた。
また、トロイの場面では、既存の建築物を生かしながら、巨大な街のセットを実際に建設。デジタル映像で背景を付け足すことに頼りすぎず、現実の場所に大規模なセットを組み込んで撮影した。撮影現場ごとに難題があり、そのたびに解決策を探していったという制作チーム。
ノーラン監督の映画は、完成した映像だけでなく、そこに至るまでの準備や撮影方法にも驚かされる。
製作秘話から見えてくるノーランのこだわり
こうして撮影の裏側を見ていくと、ノーラン監督が『オデュッセイア』という作品に、どれほど大きな労力を注いだのかが分かる。山道を45分かけて登り、本物の船を海に浮かべ、俳優たちにも実際に船を動かす訓練をさせる。怪物の表現にも実物の仕掛けを取り入れ、6か国を巡って撮影する。
もちろん、すべてを現実の場所や実物だけで撮影できるわけではない。それでも、できる限り本物の風景や物を使い、俳優たちがその場に入り込める環境を作ろうとする姿勢が印象的だ。
映画の中で描かれるオデュッセウスの旅に負けないほど、撮影そのものも壮大な冒険だったのではないだろうか。
④ 『オデュッセイア』を観て感じたこと|神話が目の前に広がる驚き
映画を観てまず圧倒されたのは、やはりそのスケールの大きさだった。
古代ギリシャの神話と聞くと、どこか遠い昔の物語という印象がある。学校の授業や本で触れたことはあっても、それを実際の映像として目の前に見せられると、また違った迫力がある。
広大な海や船、見知らぬ土地での冒険。オデュッセウスがたどる長い旅を、ノーラン監督は大きな映像で描き出している。特に印象に残ったのは、物語の舞台となる世界の広がりだ。神話の中で語られてきた出来事が、実際にそこに存在するかのように感じられる。映画館の大きなスクリーンで観るからこそ、その世界に引き込まれる部分もあった。
そして、映画を観ながら何度も考えたのが、これを映画にしようと思ったノーラン監督は、やはりすごいということだ。
ホメロスの叙事詩は、何千年も前から語り継がれてきた物語である。しかも、どこまでが史実に基づいているのかもはっきりしない。そんな題材を、現代の観客が楽しめる一本の映画に仕上げる。その発想自体が並大抵のものではない。
さらに、撮影秘話を知ると、スクリーンに映っていた風景や船の場面も、違った印象で思い返される。実際の船を使い、険しいロケ地までスタッフや出演者が足を運んで撮影した。映像の迫力は、そうした現場での積み重ねによって生まれていたのだ。
映画を観終わって感じたのは、ノーラン監督は毎回、観客が想像する以上の題材に挑んでくるということだ。
『インターステラー』では宇宙を、『オッペンハイマー』では歴史上の人物を、そして今回は古代ギリシャ神話を映画にした。
次は一体、何を映画にするつもりなのだろう。そんな期待まで抱かせてくれる作品だった。
やはりノーランは映画界でも唯一無二の存在だ
今回の『オデュッセイア』を観て、改めてノーラン監督の発想力と実行力に驚かされた。大きな予算をかけた映画を作る監督はほかにもいる。しかし、誰もが知る神話を題材に選び、これほどの規模で映像化しようとする。その挑戦そのものに、ノーランらしさを感じる。
個人的には、今後のアカデミー賞でも有力な候補になるのではないかと期待している。映画の評価はこれからさらに広がっていくだろうが、少なくとも私にとっては、ノーラン監督がまた新しい世界を映画館に持ち込んでくれた一本だった。
これだけの作品を作り上げた監督が、次はどんな映画を見せてくれるのか楽しみだ。
合わせて読みたい
ノーラン監督の作品に惹かれた方には、こちらの映画もおすすめしたい。
- 『オッペンハイマー』:圧倒的な熱量で描かれる3時間。主演俳優をはじめ、俳優陣の演技力にも注目したい作品。映画の感想・考察はこちら。👉 映画『オッペンハイマー』の感想・考察はこちら
